大人は本を読めというけれど~やっぱりそれは正しかった!

先週末は久々に集中して本を読みました。

文学少女からは程遠い子供時代。大人になって読書の良さをしみじみと味わ合う今日この頃です。パソコン画面を見る時間が多くなった今だから、余計にそう感じるのかも・・・

活字の塊を読むなんて信じられなかった子供時代

私は小学校の頃はほとんど読書をしませんでした。図書館で絵本くらいは読んだかな?同級生の中には、しょっちゅう本を借りて読んでいた子もいました。でも自分にとっては「活字の塊」である一冊の本を読むなんて信じられないことでした。

ただ自分でいうのもなんですが、国語はそこそこできていたと思います。漢字テストもまずまず合格。教科書の音読もスラスラできたので、別に劣等感もなく6年生まで進みました。ただし作文は大嫌いでしたけれどね。「~について」書け、なんて言われても全く筆が進まず。今でいう思考力の無い子というわけです。

初めて一冊の本が読めた!

非文学少女だった私が、めでたく一冊の本を読み終えたのは小学校6年生になってからでした。確か壷井栄さんの「柿の木のある家」だったと思います。「活字の塊」である一冊の本を読み終えることができた自分に感動した覚えがありました(笑)。

それから続いて同じく壷井さんの「母のない子と子のない母と」を読みました。図書館で偶然借りて読んだのが壷井栄さんの本でしたが、次も同じ作者の本へ自然に心が向いたのです。その後はゆっくりペースですが、ときどき本を読むようになりました。あくまでもときどきです。

それにしても6年生になってやっと本が一冊読めたと感激するなんて笑えますよね。

読めといわれても読みたくない~!

「本を読みなさい」といわれても、いったい何が面白くてあんな活字の塊をじっと見つめていなければならないのか、と思っていた自分。本当に素直な子ではなくて~それが続いて今でも素直な大人ではないのですが💦。そんな読書嫌いに酷な季節が夏休み。そう、あの読書感想文ってやつです。

無理矢理な読書と読書感想文

あなたは読書感想文が得意な方でしたか?私なんて大嫌いでした、ほんと。

読みたくもないのに無理矢理本を読む。特別感動もしないのに無理矢理その本について感想なんぞを書かなければならない・・・心がどんよりでした。

それでも宿題をやらずに登校するほどのやんちゃな心は持ち合わせていなかったので、とりあえず何かを書きました。後ろの解説などからめぼしいところを抜いてきてね(笑)。

幸い同級生の一人に文学少女がいまして、彼女の家に本を借りに行ったものです。彼女の家にはあの頃(昭和)流行った「子供世界文学全集」がどっと並んでいたのです。お父さんが買ってくださったのだとか。彼女と彼女の弟さんは今も読書家です。

わが家の親は?といえば、子供に本を買ってくれるなどという心の余裕がなかったのかお金が無かったのか知りませんが、全く「教育に良い」といわれるようなことはしてくれませんでした。ただありがたかったのは・・・放っておいておいてくれたこと(笑)。

勉強に関しては何も言われなかったのが、私のように強制されるのが大嫌いな子には良かったと感謝しています。親もいろいろ、子もいろいろですからね。

読書三昧の一年間

中学・高校時代には、ときどきは本を読んでいましたが、相変わらず読書とはあまり縁がなく過ぎていきました。どころが高校を卒業して上京し、バイト先の学生社員寮に住むようになってから突然の変化が・・・。

私はバイトをしながら学生生活を送っていましたから、多少の小遣いはありました。そのお陰か吉祥寺駅ビルにあった本屋さんでちょくちょく本を買うようになりました。そして次第にその回数が増え、一時期などは毎日一冊は本を買っていたほどでした。同級生の寮仲間とまるで競争するように、本を読んでいたのです。

さすがに一日一冊購入は長くは続きませんでしたが、それ以来本屋と図書館は私のお気に入りの場所になりました。今でも友人とはよく本屋さんで待ち合わせをします。

強制も悪いばかりではない

夏休みの強制読書とその感想文書きに悩まされた身としては、あくまでも読書は自主性を重んじて~などといいたいところです。しかしそんなことばかり言っていては、一生本を読まずに人生を送る子がいるかもしれません。直接命にかかわる問題ではないとは思いますが。

読む本によっては、洗脳されてとんでもない行動を起こすという残念な例もあります。しかし極端に偏った影響でなければ、読書はいろんな視点を増やしてくれる教材になるはずです。効果が目に見えないだけなんです。

何も読書に限らず、子供の頃って強制・半強制的に何かをやらされることが多いもの。その最たるものが学校の勉強。漢字を覚えたり九九を暗記したり~。できなかったら居残りしてでもやらされたり。強制以外の何物でもないですよね、子供たちにとっては。

でもそのお陰で、大人になれば新聞や本が読めるし買い物もできるわけです。読書は文字や計算ほど実生活に不可欠なものだとは思えません。ただ見えないところで心の糧になっているのだと思います、たぶん。

本を読んだからと言って突然頭が良くなるとか、そのような魔法はありません。でも何だか読書の後は、ちょっとした充実感があるのは私だけでしょうか。

ベストセラーが苦手なときもある

人気のベストセラーともなると、当然多くの人が読んでいる作品です。ということは面白いのだろうと、自分でも図書館で借りてみたことがあります。いざ読んでみるとどうしても心が動かず、ページが進まないことがほとんどなのです。

いったいどうしたんだろう?自分には読解力というものがゼロなのか?自分はおかしいのか?
などと悩むこともありました。いくら頑張って読もうとしても、その人気作品を読み進めることができないのです。

あのハリーポッターを読んだときのことです。初めは原書で、次は日本語訳で読みました。原書ではそれとなく想像しながら読み進めていきましたが、世界中の人が興奮するほどの感動はなし。

日本語訳ならもっとわかりやすいかと日本語版を読んでみたのですが、何と原書よりもよくわからなくて~。がっかりでした、自分にです💦。

それからあの村上春樹著の「ノルウィーの森」もすぐに挫折してしまいましたね。単に自分の好みの問題だと思います。別にベストセラーだからと言って読んでも読まなくてもいいわけですけれど。

ただ大変多くの人が読んで楽しんでいるにもかかわらず、自分は全く楽しめずで、そこのところが面白くないんです。

もともと変人気質がありましたから、別に他人と同じではなくてもいいんです。でもね、どうしてこんなに人気作品が楽しめないのか不思議だったんです。精神が歪み過ぎなのかと思ったほどでした。ただ自分とは波長が合わない作品だったのでしょう。

大人の言うことにも一理ある

本は読もうと思った時に読むのが一番だとつくづく思います。でも先生や世の大人たちが「本を読みなさい」というのは間違ってはいないですね。

無理やり読まされるのはやはり辛いものです。読み始めたら以外にもハマってしまったということもあるでしょう。でもやはり入り口のところがが辛いです、無理やりだから。

それでも本を手にでき、文字が読めて本の世界に旅することができるのは、とても幸せなことだと思います。面白くなければ、旅の途中で戻ってきても良いわけですから。

大人たちの言うことにも一理はあるものだと、十分に大人になった(年だけは)今、素直に思えるようになりました。本を開く時間は貴重です。

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