意外にフレクシブル?私が出会ったムスリムたち

あなたはイスラム教と聞くと何をイメージしますか。即「テロ」とか「怖い」とか思ったりしませんか。世界三大宗教のひとつであるにもかかわらず、日本ではかなり誤解されているのがこのイスラム教です。

私自身はイスラーム教研究者ではありませんし、専門知識もほとんどありません。ただここ数年、インドネシア人のムスリム(イスラム教徒)たちとご縁があり、彼らの世界をちょこっとだけのぞくことができました。それにより私が抱いていたムスリムへのイメージが変ってきたのです。

彼らはかなり厳格な生活を強いられていると思いきや、意外にもフレクシブルなんですよ。いいかえれば、わりといい加減なところもあり~(笑)。

毎日の礼拝

ムスリム(イスラム教徒)には義務として課せられた五つの行為(五行)があります。信仰告白(シャハーダ)・礼拝(サラー)・喜捨(ザカート)・断食(サウム)・巡礼(ハッジ)です。

なかでも一日に五回の礼拝(サラー)は、非ムスリムにとってはイスラム教の象徴のようにも思えますし不思議でもあります。何であんなことするの?なんて思いませんか。それも一日に五回もね。

イスラム教ではクアラーン(コーラン)に次ぐ権威を持った聖典であるハディースという書があります。このハディースはクアラーンの補助として、大変重要な役割を果たすものです。毎日の礼拝の仕方についても、ハディースに詳しく書いてあります。

ムスリムの礼拝の時間帯

・夜明け前
・昼過ぎ
・午後
・日没後
・夜(就寝前)
なおイスラムでは日の出・日の入り・正午の礼拝は禁止されています。また礼拝は男女別々の場所で、メッカに向かって行います。

でもこの礼拝はいったい何の意味があるのでしょうか。

ムスリムたちは礼拝で唯一の神アッラーと意思疎通をはかるのです。礼拝は、神への敬意を払い、感謝をしたりする時間なのです。アッラーと二人だけの会話の時間?といえるかもしれません。

ところでイスラム教徒たちは、礼拝の前には必ず沐浴をします。ウドゥー(小浄)とよばれる沐浴が一般的で、手、足、顔など体の一部を水で洗います。一種のお清めですね。そしてモスクには沐浴のための水場が必ずあります。

礼拝は一日五回とは言うけれど

ということで礼拝は一日五回と行うことにはなっています。がしかし、実際にはムスリムといえども人です。いろんな都合で所定の時間に五回の礼拝ができないこともあります。でも大丈夫。

インドネシア人の友人によると、必ずしも厳格に五回行わなくても良いのだとか。一回スキップしたら、次の礼拝でその分を長く行えば良いのです。けっこう融通が利くのです。だから無理して五回の礼拝をおこなう必要はないのです。それでもまじめなムスリムは、出かけた先でもできる限り礼拝を行おうとはしますが。

私がインドネシアを訪れたとき、敬虔なムスリムの友人に小旅行に連れて行ってもらいました。小さな村を通り過ぎようとしたら、彼が車を止め、「ちょっとお祈りをしてくるから」と近くの小さなモスクに去っていきました。

お昼を食べたレストランでも、「ちょっとお祈りを」と姿を消して、再びテーブルに戻ってきたこともありました。まじめなムスリムは、いつもお祈りのことが心にあるのですね。ただ五回にこだわらず、神とのコミュニケーションを図ることそのものが大切なのです。

一か月も断食?

毎日の礼拝とともにイスラム教徒独特の行いが断食。それも一か月も!夜明けの礼拝から日没までの間です。

断食はラマダーン月(イスラム歴)の9月に行われます。その間は飲食はもちろん、唾をのみ込むことも禁じられています。でも唾を飲み込んでしまっても、誰にもわからないのではないかと思うのですが~。だいたい唾って自然に出てくると思うんだけれど・・・。

「飲食の目的ではないならOK」というムスリムもいるようです。でも飲食の目的で唾を飲む人いますかね~。今度友人と会った時に聞いてみようかとは思います。

断食が免除のケース

ラマダン月でも断食を免除される場合があります。乳幼児、妊婦、授乳期間中の母親、生理中の女性、高齢者、重病人などです。旅行中の人も免除されるのにはびっくりです。この期間を狙って旅に出る人が増えるかと思いきや、そう思うのは非イスラム教徒の私くらいのようですね(笑)。

ただし旅行や病気、生理中など、一時的に断食ができなかった場合は、次のラマダンまでに、断食ができなかった日数分を補うのだそうです。また高齢や重病で断食ができない人は、そのかわりに貧しい人への施しを行うことになっています。みんな「善い人」になる月なのです。

断食はお祭り気分?

30日にも及ぶ断食と聞けば、何と辛い義務かと思いがちです。しかしこれが意外にも当のムスリムたちにとっては、ある種のお祭りともいえるのです。

断食といっても日没から夜明けまでの間は食事ができます。日没後の食事イフタールと夜明け前の食事サフールです。だから全く食事をしないわけではないのです。私もそれを知ったときは、ほっとしました。一か月飲まず食わずじゃ、死んでしまう~と思ったから(笑)。

ラマダン月には、親族や友人がいつもより頻繁に行き来し、夜遅くまでおしゃべりして楽しみます。テレビも特別番組を放送したり(日本の正月番組のよう?)、町も活気が出るようですよ。お祝いムードですかね。

断食で太る?

断食イコール痩せる、と思うのは普通ではないでしょうか。ところがムスリムたちの断食では、かえって太る人が多いのです。そういえばお腹がでっぷりしたムスリムの男性は結構多いですからね。

なぜラマダン月に太ってしまうかというと「まとめ食い」にあるようです。食事回数が普段よりも減り、おまけに昼を食べない分、みんな食事が楽しみで、ついドカ食いしてしまうことが考えられます。ほら、お相撲さんの食事も一日二回ですよね。

ということは断食中のムスリムは力士養成期間中?かと💦。

そんなこんなで、断食はダイエットにあらず~。

ムスリムは寛大

以前、イスラム圏では「左手は不浄」だと本で読んだことがあります。即「これはまずい!」と思いました。というのも私は左利きだからです💦。

そこでわが家にやってきたインドネシアの友人に左手のことを聞いてみました。すると「そんなこと気にしなくていいですよ」との答え。イスラム系高校教師をしている敬虔なムスリムの彼が言うのだから、まず大丈夫だとほっとしました。

彼曰く、イスラム教徒たちは「非イスラム教徒たちには、自分たちの慣習を何ら強制はしない。私たちの心はオープンです」だって。ムスリムは寛大でした。実際にインドネシアに行っても、私はいつも通り左手で食事をしていましたが、特に問題にされませんでした。

イスラム教=テロと考える大きな誤解。ムスリムのすべてがテロリスト、あるいはテロを支持しているはずもなく。どちらかといえばムスリムたちは、とても穏やかで優しい笑みの人が多かったように思います。

私が訪れたイスラム圏のインドネシア、マレーシア、ブルネイ、トルコ、そしてシンガポールポールのアラブ街でも、ムスリムたちは自分たちの世界に暮し、他を攻撃することなどとは想像もできませんでした。

イスラム教というと厳格、窮屈、怖い、とどうも良いイメージがないようですが、一度ムスリムと話してみると、自分たちと同じ人間なんだと感じます。ムスリムも知れば知るほど興味深く、また偶像崇拝をしないイスラム建築の美しさに目を奪われます。

神道と仏教を同時に受け入れ、神社仏閣は元旦の初詣、それも「~してください」なんてお願いばかりの日本人💦。それに比べてムスリムたちの方が信心深い人がほとんどですけれどね。

そういえば最近日本を訪れたムスリムのインドネシア人青年は、ビールなんかを飲んでいたとか・・・。日本にホームステイしていた高校生時代には、まじめに礼拝をしていたのですが、最近はかなりゆる~いムスリムになった模様。

ひょっとしてアッラーの神は寛大だから、「日本に来た時にはビールは飲んでもいいよ」と彼にはいったのかな?(笑)。

というわけで、ムスリムにもいろんな人がいるということです。けっこうゆる~いところもあるのがわかります。ムスリムも知れば知るほど興味深く、また偶像崇拝をしないイスラム建築の美しさはまた格別です。

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