英語に対して不真面目になったときから、話すのが楽~になった

一昨日の読売新聞で、「小学英語、5年から」という見出しが。2020年度から英語が初めて正式な教科となるようです。5・6年の2年間で600~800程度の英単語が掲載され、三人称や過去形の使い方なども学習するのだとか。これって中学校の前倒しってのと同じでは?
英語に関してはもう何十年も、あ~だこ~だと国をはじめ巷で議論されてきましたが、大した進展はなし。あえて言えば、海外には行きやすくなったので、短・長期を含めた留学などが増えたこと。また子供たちにとっては、ALTという英語圏から来た先生とゲームをして遊ぶ機会ができた、くらいだろうか?

語学は何歳でやってもいいと思います。緊急で仕事に必要になったら、必至で習得せざるを得ないわけですよね。かといっておむつをしている時から英語を習わせたからといって、それが大学・社会人へとうまく結びつくかといえば、かなり疑問なんですよ。

ほんと、早くやりたければやれば良いんだけれど、もし親が期待過剰なら、おそらくがっかりかも・・・。くれぐれもお金をドブに捨てることがないように~。

すでに母語が入った小学生が、週にちょこっと英語をやったからといって、いわゆる「ペラペラ」になるなんてありえないから。それにその「ぺらぺら」への憧れというのが曲者なんですが。

英語学習に関してはいろいろな意見があるけれど、今もなお国や熱心な親が躍起になるわりに、ほとんど進歩無しでは? もちろん例外はありますよ・・・特別英語に興味があったり、意識して英語を身に着けようとする生徒は、それなりに「英語ができる」過程にあるはずです。

英語英語と騒ぐほど、空回り

文科省が必死で試行錯誤しているなか言うのもなんですが~。英語英語と騒げば騒ぐほど、現場は空回りしてるんじゃないかってこと。

アジアの中でも英語後進国の日本?とかなんとか言われるものだから、あれやこれやと現場をいじくりまわし、いじくりまわされた方は大変なはず。

だいたいね、シンガポールやマレーシア、香港などと比べたらだめ。だって環境が違いますって。あちらは日常でも英語が飛び交っている国々。こちらは・・・学校でちょこっと英語をやっても、家に帰ればしっかり日本語。教育熱心な親が子供に英語で話しかけない限り、なかなか英語は定着しない。

わが国では外に出れば日本語だけでOK。社会人になり、必要に迫られて脂汗かきながら英語と格闘する人もいます。でもその他多くの人は、一生英語と付き合わずに暮らすことも可能。英語大嫌いさんは、極力英語を使わずに済む仕事を選ぶことでしょう。

だから必死になって英語を学ばせようとしても、意識低い系の子供?に至っては「どうせ英語なんて使わないし~」てなわけです。

それに対して熱心な大人たちは、「何をいってんの!これからの国際社会に向けて英語は必須なんだから。」な~んて言って聞かせようとするでしょう。でも肝心の子供はしら~っとしているのです。だってね、自分の周り、日本語だけで充分生活できるんだから(笑)。

それに子供って小学校から中学に入ったら変わるんです。それまで元気に、ちょっと発音よさげに英語を話していたとしても、中学校に入った途端、棒読みスタート💦。

やるときはやるさ

何度も言いますが、英語も必要に迫られた時が一番集中でき、学習の進歩が見られるはずです。

自分の周りが英語だけしか理解できない人ばかりなら、腹をくくって自分でできる限りの英語を使って意思疎通をはかろうとします。もう汗だくかも知れない。

でもその経験が英語力を進歩させるのです。英検何級だTOEIC何点取ったと騒いでいても、いざ現場で英語で仕事ができるかっていうと、どんなもんでしょうか?

幼いときから英語をスタートしたなんてことは、仕事とはほとんど関係なくないですか?まあこんなこと言うと、熱~くなって反論する熱心な親御さんもおられるとは思います。

でもね「英語ができるから仕事ができる」のではなくて「仕事で英語という言語を使う」というだけのこと。そして今の世の中、英語が便利ってことです。だから英語ができた方が良いに決まっている。

ただ何事も、いざとなればやるときはやるものですって。だから英語嫌いが成り行きで英語を使わなければならなくなれば、必死で練習するに違いありません。荒料理ですが、短期集中で効率が良いともいえます。

英語に真面目すぎると逆効果

日本では英語に関して誰もが真面目に悩み過ぎるのではないでしょうか。何だかそんな気がしてならないのです。

自分自身も学生時代、会社員時代を振り返っても、けっこう英語に真面目に付き合ってきた方だと思います。あの頃はうまく通じさせることができない場面の後は、かなり凹んでいました。いろんな試験を受けたこともあり、細かい間違いなどにも神経質になりがちでしたしね。

仕事で英語を話さなければならないときには、一応見え張って沈黙だけは避けてきました。でも何だか今考えると、精神的に堅いというか、萎縮気味だったような~。邪魔な緊張感でした。

ほど良い不真面目さが育てる英語力?

人間真面目ばかりが良いとは限りません。もちろん真面目そのものは大変良いことです。でも英語を使う、特に話すことに関しては、ある程度の不真面目さというか、こころの緩さがあったほうが断然有利。

私自身の経験ですが、50才を過ぎたころから英語を話すことが楽~になったのです。別にすごく上達したという意味ではありません。気持ちが楽になったのです。

おそらく年齢とともに育まれてきた?図太さというものが、うまく働き始めたのかも知れません(笑)。

わからなかったらわからないと言える神経とかもね。間違ったら言い直せばいいし、わからない言葉が出てきたら尋ねればいいしね。これは日常生活での意思疎通のことですけれど。

重要な商談や会議のときは真面目に進めなければなりません、信用にも関わりますから。でもそんな時こそ、少しこころにゆとりを持たせてコミュニケーションをはかる術を身に着けるというのが大切だと考えます。

いろいろ言われている日本の英語教育ですが、所詮英語ができるようになるかならないかは、個人個人の意識次第。

自分が英語を使うという意識があって実際に使えば言いだけの話。他人の英語(特に発音)を「上手だ」とか「下手だ」とか素人評論家が多すぎます。でもそんなことは気にせずに、誠実に一生懸命英語を話してみるのが一番!

良い意味での不真面目さを発揮して、もっと英語での意思疎通を楽しむための「心育て」が一番大切な気がしますが、あなたはどう思いますか?

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