お騒がせの文部科学省。確か二年前、2020年度からの大学入学共通テストで英語民間試験を活用すると発表。「読む・聞く・書く・話す」の4技能を測るためだそうです。
ところが先日、「英語民間試験の活用は見送り」と発表。は~??
この案に反対だった身としては、まずはほっとしました。ただ振り回された高校生や学校現場には本当にお気の毒としか言いようがありません。
すでに民間試験を受けるべく準備を始めてしまったまじめな生徒たちなどは、がっくりかも知れませんしね。可哀そうに。
いい加減な文部科学省のドタバタ劇にあきれるばかり。もう文科省なんて削除!なんて高校生たちに言われるかもね。
その程度のものだったのか
入試システム上の改革とは、「やります。やっぱり見送ります。」でいいんですかね?今回もその程度のものだったのだろうか?「上から」の発表の度に慌てて対応に追われる学校現場。
省もまさか、その時の思い付きで民間試験導入を発表したのでもあるまいし・・・そう信じたい。
いや、思い付きかも知れません。そうでなければ、こんなバカげた結果にはならないでしょう。
説得力に欠ける導入案
現場に大騒ぎさせておきながら、あっという間に「見送り」発表。結局は文科省が民を説得できるほどのしっかりした案ではなかったわけです。
前にも書いたかもしれませんが、4技能のうち特に「話す」技能など大学入試で測れるはずもなく。英語民間試験の結果もあてにできません。
だいたい「英語で話す」なんて、英語が身についていない生徒たちには無理です。大多数の生徒にとっては、日本語の会話でさえやっとですから。
この騒ぎで、いわゆる高学歴といわれる官僚たちの視点など全くあてにならないことが判明。
何やってんだか~。申し訳ないけれど、ちゃんと脳みそ使っているのか?と問いたくもなります。
文科省にはいろんな視点からよ~く考えてから事を「発表」してもらわないと、その発表はただの「公害」。
子供泣かせ、学校泣かせ、親泣かせの文科省こそ、大改革が必須です。
英語ペラペラ幻想からの脱皮を!
こういう騒ぎになった原因の一つに、日本にはびこる「英語ペラペラ」という幻想があると考えます。「ペラペラ」と何をしゃべるというのでしょうか。
何言っているかわからないけれど、「ペラペラ」と英語を話す人を何故か尊敬のまなざしでみてしまう人の多いこと。
「ペラペラ」英語を発している子供を見ただけでも、「すご~い!」なんて言うのを聞いたことがあります。子供のおしゃべりですよ。
ひょっとして文科省は、日本の高校生がみんな「ペラペラ」と英語を話すことを夢見ていたのでしょうか?だから「グローバルな人材」を育てる目的で民間試験を活用?
そもそも大学入試で英語能力判定の方法だけを、あれこれいじり過ぎるのはおかしいことです。
高校生たちは、伝達手段としての英語を学ぶことになっているはず。そのためには話題がないと始まりません。
近代史の学習をもっとしっかり行うことをはじめ、自国の歴史・経済、自然科学など、他の教科の充実が不可欠です。
それらの知識を基本として英語を「身につける」のであれば、薄っぺらな「ペラペラ英語」幻想から脱皮できるかも知れません。
英語嫌い増加の可能性
このように入試における英語試験システムを簡単に変える文科省と、それにより動揺する高校生や教育現場。ただでさえ英語嫌いが多いというのに、ますますそれが深刻化しそうな気がします。
英語民間試験などは、受けたい人が受ければ良いのです。だいいちバラバラの民間試験の成績を、どうやって大学入試の判定に利用するというのでしょうか。かなり難しそうですが、そこは「いいかげん」にやってのけるのかな?
さいごに
またいってしまうけれど、英検などの英語民間試験を受けたとしても、英語運用能力の補償にはならないことがほとんどです。
実際に英検のある級に合格した生徒を見ても、ほとんどそのレベルの英語を使うことはできません。日ごろ使っていないから当たり前。使う練習もしていないしね。
だから英語民間試験の過信はしない方が賢明。本当に英語を使えるようになるためには、「ペラペラ」とまくしたてる英語話者の勢いに負けない、「強い意志」を育てることです。
いっそうのこと大学入試の英語試験では、「どのようにしたら日本にいて英語が身につくようになるか述べよ」という論文を課すことにしてはどうでしょうか。
その回答を読んでみたいな(笑)。
いっそのこと大学入試から英語を外したら、スッキリするかも!