人生には妥協が大事というけれど

頭の中がまだ夏だったにもかかわらず、外はすでに秋。9月ですからわかりますが、わが雑草園の菜園部の準備ができていなくて~。

ようやく重い腰を上げたのが昨日。枯れた夏野菜と雑草で乱れたわが菜園。次の秋植え野菜用に整備するためにそれらを抜き取り、苦土石灰を撒いて土壌改良(のつもり)。

ふと畑近くの八重桜の木に目をやると・・・丸裸!

あ~今年もやられた~。葉が虫に全部食べられました。去年もやられたけれど、今年は大丈夫だな、なんて思っていたそのすきに~💦。

ただ去年よりもショックは少ないんですよ。諦めというか・・・妥協の気持ちが強くなってきたみたい。自然界に住む人間という生き物のひとりとして。

まさに時すでに遅し、ということで今年もこちらの負けを確信。でもおそらく来春もきれいな花を咲かせてくれるだろう、と勝手に思っています。今年も無事咲いてくれたから。甘い?まあ見守ることにします、というかそれしかできないから。

虫も好きな木には付くけれど、嫌い、あるいは興味のない木には寄り付かないもの。あっ人間もそうだ(笑)。虫たちはさぞかし満腹で、またどこかへ引っ越したのではないかと思います。どこにも姿が見えないから。

思えば去年の今頃、虫騒動で隣のお寺では何本も木を伐採。虫が大嫌いなお寺のお姉さま方の反応がすごくて、住職も伐採を決断されたようです(笑)。

あの時は他人事と聞いていたら、うちの八重桜も葉が一枚もない状態でびっくり。慌てて消毒したけれど後の祭りでした💦。

今年は前もって消毒しておけばよかったのですが、すっかり忘れてしまうんですよね、夏になると。わたしの頭の中では桜の花はすっかり消えているから。

秋になって丸裸の姿を見て、八重桜の存在を確認するという次第・・・。管理人としてはまずいね。

でも木自体は死んでいないから大丈夫。虫も食べなきゃ生きていけない💦。ということで残念な木の姿を前に自分なりに妥協。来春はまたきれいな花が咲くでしょう~なんてね。

虫のいない世界はない、というか自然界の中では人間自体が巨大な虫かもしれないな。

丸裸の八重桜 あ~あ

妥協といえば雑草。

雑草の元気なことと言ったらピカ一のわが家の庭。雑草園そのもの。けっこう広いので完璧管理は無理と最初から悟りの境地です。

適当に草取りして、畑や花壇内、バラの周りなどを除いたスペースは除草剤に頼ります。片っ端から人力で草取りなんて到底無理。ある程度の薬剤散布は仕方がないということで、これも自分なりの妥協です。

草は取る後から生えてきますよね。いたちごっこ。夏に思いきり育つ草との戦いで疲労困憊なんてできるだけ避けたいもの。

小さい草を真剣に抜いている主さんの姿をよくお見受けします。限られたスペースならそれも可能でしょうが、広い敷地ではそんなことやってらんない!

ということで「雑草のない庭」なんて妄想だと悟るのが賢明。草取りに自分の一生を捧げたくはない。草の緑も庭のうち、ということで・・・。

草は元気

学生の頃バイトで働いていた会社の上司のひとり。あの頃若かった私たちを飲みに連れて行って下さったのですが、そのときにほろ酔い加減で「人生には妥協が大事だよ」とおっしゃていたのが、いまも頭に残っています。心というよりも頭にね。

というのもあの時のその上司の言葉の意味が、私にはいまひとつピンとこなかったから、心に残ったわけじゃなかったのです。でも頭には記憶として残っていました。

いまは妥協が必要だと思えることが、いろいろな場面であります。

妥協ばかりではまずいけれど、適度な妥協をしながら心身ともに負担を減らして暮らしていけたら良いですよね。

庭仕事を通して、ふと思い出した「人生には妥協が大事」というあの頃聞いた上司の言葉。今はその意味がよ~くわかります。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です