お久しぶりの「やまと尼寺精進日記」~ひとり生きる豊穣

昨日NHKスペシャルで「やまと尼寺精進日記~ひとり生きる豊穣」が放送されました。

サブタイトルでもわかるように、ひとり生活に戻ったご住職の現在の様子を見ることができました。尼寺ファンが待ち望んでいたものではないでしょうか、もちろん私も。

ご住職はお元気

今はおひとりでお寺を守るご住職。お元気なのだろうか?と心配していた全国の尼寺ファンも多かったのではないでしょうか。

大丈夫、お元気でした! 番犬のオサムも。

facebookなどもやられているようで、ひょっとしてスマホ片手に台所~かと思いきや、相変わらず庭仕事のお姿。

山菜取りをしたり、花を育てたり~野菜まで育て始められた模様。狭い庭なので歩くスペースが狭くなるはずです💦。

野菜はなかなかうまくは育たないようですが、きっと育ててみたかったのでしょう。でも麓の方たちから立派な野菜が届くことを考えれば、野菜つくりは頑張らなくても良いかと・・・。でも育てる楽しみはありますけどね。

ひとり上手

寂しくないか、という何度もの問いかけがありました。がご住職からは、寂しいという言葉は返ってきませんでした。

おそらくご住職は、ひとりでいることが得意なのでしょう。「ひとり上手」ということばを聞いたことがあるような~。とにかくひとりでいることが嫌ではなく、楽しいのだと思います。

実は私もどちらかというと、ひとりが楽しい~。寂しさに鈍感なのかもしれませんが、ひとりがすごく快適な性分です。だからご住職への「寂しくないですか?」の質問はちょっと邪魔でした(笑)。

だいたい山寺に一人でやってきた尼さんが、「寂し~い」なんて愚痴るとは到底思えません。

ひとり暮らしは孤独ではない

コロナ禍とはいえ、尼寺には人が絶えません。相変わらず元気な野菜を運んでくる麓の人たち。何かとお手伝いに来てくれる方もおられます。

それにあの潤子さん。あの方の存在はご住職にとっては強い味方です。彼女の声を聞くとホッとするのは私だけでしょうか?

ひとり暮らしに戻ったご住職ですが、人との交流は豊かですから孤独とは無縁。「一人暮らし」=「孤独」ではない、ということです。

大勢で暮らしていても心が孤独な場合もかなりあるようなので、一緒に暮らす人の人数と寂しさとは関係がないようです。人の心の情景はいろいろですね。

受け入れるということ

ご住職のことばからは改めて認識させられることがいくつもありました。

音羽山観音寺にある樹齢約600年の銀杏の木。一昨年は実がほとんどならなかったとか。それでも自然を前に、「なるようにしかならない」とご住職。自然の有様をありのままに受け止めるということです。

わが家の杏の木も今年は花付きがよくありません。実の収穫は期待できない模様。

果樹は毎年大収穫、といかないので手ごわいです(素人の場合は特に)。ただ昨年秋に私が枝の剪定をし過ぎたからだと父から何度も言われてはいますが・・・となるとこれは人災?

いずれにしても、今回のご住職のことばからは、老いも自然も受け入れて生活する、ということを改めて認識させられました。

宝は日々の暮らしの中に

自然の恵みに感謝しながらのご住職の暮らし。

こんなところには何もない、と私たちの多くが言いがちではないでしょうか?世界遺産があったり国立公園であったりしたならば別ですが、ただの住宅地(わが家)なんて面白くな~い、なんてね。何もない・・・などと思ったり。

でもご住職曰く、何もないのではなく、探せばたくさんある、それも身近な日々の生活の中に・・・。わかってはいるけれどすぐに忘れてしまうこの真実。しっかりこころに受け止めておきます。

さいごに

久しぶりの尼寺精進日記。自然から放出される四季折々のみごとな色彩に、再び魅了されました。

野菜や山菜のフレッシュな緑色。目に良さそう!

黄色い銀杏の葉の絨毯の美しいこと!落ち葉とはいえ、ああいうものはしばらくそのままで自然色の美しさを愛でていたいですね。

桜とか椿もそうですが、花弁が落ちてもすぐに掃除はせずに、しばらくは花の絨毯を楽しむみたいものです。すぐに掃きたくなる人もいるようですが、もったいないですぞ。

わが家の椿

久しぶりに「やまと尼寺精進日記」を見て、心身ともにエンジンをかけ始めようと思いました。桜も満開です🌸。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です