「而今」を心の片隅に~新たな一年のスタート

明けましておめでとうございます。令和二年のスタートです。

今日のタイトルにある「而今」ですが、普通は「じこん」と読むそうですが、禅語では「にこん」と読みます。ただし「じこん」でも「にこん」でも良いそうですから、ここでは「にこん」と読むことにします。

年の初めということで、時とは、人生とは、な~んてちょっと考えてみることに・・・。

而今とは

この禅語は、ざっくり言えば「今を大切に生きなさい」という意味です。よくいわれることですけどね。

人は今というこの「瞬間」にしか生きることはできません。そしてその瞬間の連続が一生というわけです。

考えたら当たり前のことですが、つい忘れてしまうんですこの真実。だから年の初めにもう一度確認です。

人はどうしても過去のことを悔やんだり、未来への不安を抱いたりします。しかし人間は今という現実にしか生きることができない生き物です。

過去や未来に生きるなんてことは不可能ですよね。心だけは過去や未来に飛ぶことはできても、からだは現実以外には持って行くことができません。

捨てた時間

「今」に生きるのが人間。ここで今年の元旦(昨日)に私自身が使ってきた「瞬間の連続」を振り返ってみることにします、ご参考までに(何の参考?)。

・仏壇、天神様、布袋様、神棚にお参りをする。
毎年これらの神様たちの前にお供え餅を飾り、正月を迎える。

・適当に作った雑煮を食べる。味も適当。

・年賀状を読む。

・姉一家が来て賑やかに午後が過ぎる。帰るとほっとする。

・恒例のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートをTVで楽しむ。目いっぱい着飾った現地の観客たちとは全く異なり、こちらはこたつに入りパジャマで鑑賞。緊張感ゼロ💦。こんな楽なコンサートはないと満足感に浸る。

・海外の友人に向けて、簡単な近況報告を兼ねたSeason’s Greetingsを送信する。あなたのことは忘れていないからね、という意味で。

ざっとこんな感じでしたが、ほぼ例年と変わりなし。そして新年最初の一日が過ぎていきました。

でもこうして過ぎ去った瞬間は二度と戻ってきません。あるのは「今」という現実だけです。こんなことを考えている瞬間でさえも、すでに消えていくわけですから人生は忙しい~。

私たちは過去という瞬間を次々と捨て去り、先へ先へと進んでいくわけです。過去に戻りたくても戻れませんしね。現実の一瞬を紡いでいくことになります。

そうこうしていくうちに、最終的には人生の終着地点に到達。ここのところだけは、どんな人にとっても同じです。だからある意味ほっとします。

だってね、お金持ちも貧乏人も必ず同じ目的地に着くんですよ。早い遅いの違いこそあれど、これだけはみな平等です。

ほら、あの飛行機の機内を想像してみてください。ファーストやビジネスクラスの乗客も、その他大勢のエコノミーの乗客も、同じ目的地に同じ時間に到着する・・・あれです。ただし降りるときは上級クラスが先ですけれどね(笑)。

さいごに

人生の最終目的地は皆同じ。ですがそこに到達するまでの時間の使い方は千差万別です。

自分がやりたいこと、やらなければならないことの優先順位を考えつつ、そのときの「瞬間」を大切に使いきっていかなければ、とこのブログを書きながら自分に言い聞かせています。

たま~に禅語の本をめくってみると、このように日常の生活の中で忘れてしまっている当たり前の事実を、再確認することがあります。

たまたま年の初めに目にした言葉が「而今」でした。このことばを心のどこかに置いて、自分に与えられた「瞬間」を大事にしながら暮らしたい、などと考えた年始めの「瞬間」でした。

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