「やらない」ことをやってみる?

今年届いた年賀状の一枚に、「頑張らなくなったら、楽!楽!今年はのんびり行きます」というメッセージがありました。東京に住む友人からです。

去年までずっと頑張り続けた彼女、昨年秋にとうとう倒れてしまったようです。

「ねばならぬ 」の呪縛

倒れた彼女ですが、都心のマンションに在住。同じマンション群の他の棟に実母、そして義理母も住んでいました。もっとも義理母の方は、昨年ようやく施設に入ることができたので、今は実母の世話だけになりました。

半年ほど前までは、ずっと両母親の食事を作り、それぞれに届けていました。義理母への配達は夫が担当してくれましたが、三度の食事作りは彼女です。一日中食事作りに追われ、あっという間に日が暮れるわけです。

たまに上京して会う度に彼女は言いました。「母たちの健康を維持するために、食事作りには決して手を抜かない」と。

まるで食事作りが彼女の使命のごとく、手を抜かずにやっていたのです。自営業で子持たず夫婦でしたから、ある程度時間の融通が利き、母上たちの世話に集中できたともいえるのですが。

でも毎日の食事作りって、けっこう体力がいるんですよね、特に義務としてやる場合。

実父と二人暮らしの私の場合は、かなり手抜きしています。それでもたまに父がいないときには、ある種の義務感から解放されます。だから彼女の場合は大変だったと思います。

朝食を食べたら今度は昼食のこと、昼食が終えたら次は夕食のことを考えなくてはなりません。これが毎日です。

彼女の場合、問題はやはり義理母上でした。味が薄すぎるとか、何かと厳しいお言葉が飛んできたようです。そのうえ痴ほうが進んでからは、ますます頑固に拍車がかかり、施設のお世話には絶対ならないと駄々をこねたとか。

それでも一筋縄ではいかない義理母上を見捨てることもなく、「頑張って」きた彼女。いまどきこんな嫁(この言葉さえ消え去りつつある?)は少ないでしょうね。でも人間として、弱い人を放っておけない性分の友人。何年もの間、頑張り続けたのです。

母親たちのためにしっかり料理「しなければならない」と、毎日自分に義務を課してきたのが、知らず知らずのうちに重荷になっていたようです。

それまで頑張ってきた糸が、ついにプツンと切れてしまったのですね。まじめな性格であるからこその結果かな?

私の手抜き

自慢じゃないけれど、手抜きは得意です。特技かも。

・部屋の掃除は毎日しない。

以前は毎日掃除していました。「しなければいけない」と思っていたから。でも毎日やるのが嫌になったので、数年前からは月・水・金の週3回実施。

毎日掃除していた時と今とでは、別に部屋の様子は大して変わりません。だからそれで良しとします。

・昼食はワンプレートですませる。

自分自身は朝もワンプレート。父親にはご飯と味噌汁を用意。ただしおかずは一枚の皿にまとめてのせます。洗い物が楽!

「お前には食器は不要だな」とよく父に言われます。しかし食器自体は嫌いじゃないんですよ。磁器や陶器を見たりするのは好きですから。ただ洗うのが嫌いなだけなんです。

・おせち料理はまともに作らない(作れない)

煮豆だけは何日も前に煮て冷凍保存。あとは菜園で取れた大根とこんやくの煮物を少しするだけ。

正月客用には、紅白のかまぼこに、これまたわが家で育てたブロッコリーを飾って華やかさを演出?して終わり。

彩を重んじる私としては、紅白のかまぼこに鮮やかなグリーンのブロッコリーの組み合わせは、正月のテーブルを盛り上げると信じています。今年も従弟や姉一家がけっこう食べてくれました。まあ、他にろくなものがないせいもありますが💦。

あとは隣のお寺の奥様からいただいたハリハリ漬けと大根なますを出して逃げ切りました。さすがにこの二品の評判は良く、わが家唯一の正月料理といえるものでした。ありがたいことです。

・庭木の冬囲いをしない

雪国恒例の庭木の冬囲い。いつもやってくれる親戚の人たちは、体調が悪かったり、忙しかったり・・・おまけに私はやりたくないしで、この冬は冬囲いは完全に省略。暖冬なのか、今のところ雪がないため特に問題なし。これからはどうなりますやら。

この冬囲い、雪国ではほとんどどこの家でもまじめにやっています。でもこれって冬が終わり春が来たら、今度はその囲いを取らなければならないのです。その作業もあるわけです。だからしないで済むならしたくはないのです。

・暮れの大掃除はしない

寒い年末に大掃除なんてしたくありません。秋ごろから少しずつ、気が向いたときにやるようにしています。やらない部屋もあるけど、気にしない。

窓拭きなんて暮れにやっても、冬の間は窓ガラスも雨風にたたきつけられてあまり意味なし。だから年末の窓拭きなんてしません。春が来たら、ホースでジャ~です。窓拭き大嫌い。

こうしてみると、何と怠慢なことでしょう!でも特に問題なく暮らしています、いまのところは。

「ねばならぬ」からの解放

まるで義務のごとく、気分が乗らないときでも「ねばならぬ」で自分を縛っていることが、けっこうあるものです。

倒れてしまった友人の例でも分かるように、誰もやれとは言わないにもかかわらず、「やらねばならない」と自分で思い込み、その呪縛で自分をいじめてしまうことに・・・。もう自分いじめです。

私は彼女にいいました。時にはカップヌードルに助けてもらっても良いじゃないかと。カップヌードルを食べたからって即死するわけでもなし、ってね。

手作り料理信仰の人たちからは、とかく悪者扱いされるカップヌードルですが、忙しい時の救世主です。上手く味方につけてみてはどうでしょうか。

さいごに

友人の話に戻りますが、彼女が頑張ることをやめた、ということは「ねばならぬ」から抜け出したということです。

今はからだの回復途中なので、のんびり過ごしているようです。気分が楽になったといいますから、かなり精神的ストレスと疲労がたまっていたのでしょう。

気づかないうちに、自分で自分を縛ってしまい苦しくなる。そんなことが誰にでもありそうですね。

ふと立ち止まって「それ絶対にやらなければいけないのだろうか?」と考えてみると答えが見つかるはずです。

それにしても私たちの暮らしの中には、やらなくてもいいことって結構あるのではないでしょうか。

命の危険がない限りは、「やらない」の選択をし、「やらないこと」をやってみる?というのもありです。自分の心を労わるためにもね。

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