日記~書くことがない?

あなたは日記を書いていますか?私は全く書きません。でも98才の父は毎日日記をつけています。

ところが最近、日記に書くことがない、とこぼすことしきり・・・。

おそらく毎日家にいて、クロスワードパズルをするだけの日々だから、とりたてて日記にする出来事もないというのでしょう。

でも「何もない」はずはありません、その日を生きているのだから。生きているということは何かして、何かを感じているってこと。

父の場合、日記とはいっても、その日の出来事をメモ書きする程度の大変短いものです。まったく感情が入っていません。誰かに見られても、大した問題はなさそうです。

その長年書き続けてきた日記。父本人が、書くことが「何もない」というほど、最近は彼にとって刺激がない日々なのでしょう。

コロナ禍になってからは、人との交流が減ったので、家族以外の人と雑談を楽しむこともかなり減りました。またつい最近、最後に残っていた囲碁仲間が亡くなってがっくりきたというのもあります。

老いると行動範囲が狭まり、新しい出会いも減り、特別な出来事が激減。それで「書くことがない」という気分になるのもわかる気がします。

毎日、起きて、顔洗って、食事して、風呂に入り、寝る・・・、というように同じことの繰り返し。その積み重ねが人生。

若い人だと、それに仕事や勉強、出会いなどが加わるから、日々バラエティーに富んでいるように思えます。

しかし年を取るとその機会がぐっと少なくなります。体も若いときの様には動きません。

かなり積極的で意識して動ける高齢者は別ですが、高齢者の多くは未来のことよりも過去のことへ心が向きがちです。

老人は昔のことはよく覚えている、というのもよく言われること。未来がない?なんて言いたくはないけれど、高齢になると未来は少ししかないのは確かです。

還暦過ぎるとそれは実感します。現実です。ましてや100才近くなると、未来云々というよりも、生きているだけで大したもの。

98歳の未来は?と言われても、あと10年後のことなど想像できないのが普通ではないでしょうか。生きているだけでも精一杯かも知れません。父を見ているとそう感じるようになりました。

高齢者の例をあげましたが、年齢に関係なく、毎日特別なイベントなどはありません。毎日ないから、たまにあると特別なんですよね。

私が英語を教えている中高生に、英語で日記を書くようにというと、「書くことなんて何もない」とよく言います。日本語でも書けないということです。

この場合もその日に特別なことがないからでしょう。また考えるのが面倒なのかも知れません。あまり考える習慣のない?日本の生徒には、ありがちなことかもしれません💦。

こちらは「今日も生きてきたんだから何かあるはず」といつも言うのですが・・・。

日記に関しては、確かに毎日同じことを書くなんて芸がない、などと思うのかもしれません。でも毎日同じことの繰り返しが、ある日突然ぷつんと切れたら・・・。それまでの「つまらない」日常のありがたみがわかるというもの。

日記を付けている人は、毎日同じことでもいいんじゃないかな?それってかなり平和なことだから。

でもお天気は日々変わることが多いから、お天気のことを丁寧に書くというのもありだよね。

日記に書くことがない、な~んていわないでね。

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