先日、寒中見お舞いのはがきが届きました。
その文面のひとことがとても印象的でした。こんな言い方もあるのだな、と思った瞬間です。
暮れに届く喪中はがきの数が年々多くなってきました。友人の親が亡くなったというお知らせがほとんどです。自分の年齢を考えれば仕方がないことです。そんな年齢に達したのですから。
親族が亡くなり喪に服しているため、おめでたい新年のあいさつは控えさせていただく、というのが「年賀欠礼状」である喪中はがきです。
昨年末も次々と届いた喪中ハガキですが、当然届いても良いはずの喪中はがきが来ませんでした。姪一家からのものです。
毎年父が孫である姪一家に年賀状を書いています。しかし昨年彼女の家では義理のお父さんが亡くなりました。当然喪中はがきが届くかと思いきや、12月半ば過ぎても音沙汰無し・・・。
いっそうのこと本人たちに、年賀状を出していいかどうか尋ねてみようか、ということでメールで質問。
すると姪の連れ合いから丁寧なメールが届きました。それもわかりやすい説明付きです。実は彼は浄土真宗のお坊さん。
喪に服して謹慎するのは神道からきているようだ。身近な人がなくなり、その穢れが周囲の人に広まらないように行動を慎むということがあるのではないか、とうことでした。
かといって年が明けて「おめでとう」という気分にもなれないため年賀状を出すのは控えるつもりだ、ともいっていました。
ただし「届いた年賀状によって皆さんの近況を知ることができるのは嬉しいので、わざわざ年賀欠礼はがきを出して、年賀状を拒否することもない。こちらからは寒中見お舞いを出そうと話している」とのこと。
ということでわが家からはいつも通り年賀状を出しました。
そして先日、彼らからは寒中お見舞いのはがきが到着したというわけです。
そのハガキに書いてあったひと言が、私にとっては新鮮だったのです。
「父○○は昨年〇月〇日にお浄土へ還りました」
この「浄土に還る」ということばがとても印象に残ったのです。寒中お見舞いで使われているのを初めて見ました。なんだかほっとする表現です。
浄土とは仏が住む国のことで、煩悩や穢れのない清浄な世界です。いわゆる極楽浄土。仏語です。
故人がその「浄土」に還って平和に暮らしてくれれば嬉しいじゃないですか。だから「浄土に還る」という一言にほっとしたのです。
極楽浄土ってどんなところなんだろう~。蓮の花がたくさん咲いているとか?
蓮もユリもバラもたくさん咲いていて、良い香りがするところだと良いな~。
寒中お見舞いにあった一言に、心がほっとしたというお話でした。