あなたは年賀状を出しましたか?私は一応出しました。
一昨年前から年内に年賀状を書いて投函するようになりました。それまでは年が明けてからの「あけましておめでとう」の年賀状だったからです💦。これが本当の年賀状だ~なんて自分の怠慢を棚に上げて弁解していたのです(笑)。
その年賀状ですが、最近は「終活年賀状」が増えてきたのだとか。
今回限りで年賀状は辞めます、というお知らせを兼ねた年賀状のことです。
「高齢になったから」というのが最も多い理由のようです。あとは儀礼的なだけの賀状のやり取りは辞めたい、とかね。最終的には人間関係の整理にたどり着くのでしょうか。
ではその終活年賀状を受け取った側はどうなのでしょうか?「ちょっと寂しい」という意見がけっこうあるようです。確かに「辞める」という言葉には寂しい響きがありますよね。
うちの父【94才)を見ていても、年々年賀状書きが億劫になっているようです。次々と友人知人があの世に逝っていることもあり、年賀状の数は減ってはいますが。
「辛いなら辞めれば~」と勧めるのですが、辞める勇気というか決意がつかないようです。このままだと、最後の一枚を書き終えると同時にバッタリ~もあり得るのではないかと思っています、ほんと。
終活年賀状は「辞めさせていただきます」とお知らせをするので、黙って辞めることに比べると礼儀がかなっていると思いますが、いかがですか?
私の場合、遠くに住む友人など日頃なかなか会えない人たちに年一回送る便りが年賀状。「忘れていないからね」というメッセージ代わりのようなものです。筆不精にとっては、半強制的に挨拶する機会が与えられるのが年賀状書きでもあります。
私が今の父くらいの年になったとしたら、たぶん・・・遠くの本当に親しい友達だけにしか書かなくなりそうです。楽へ楽へとなびいているもので~💦。
ただどうしてこう年賀状を書かない人が増えてきたかというと、その「負担」感が原因ではないかと思います。だから年を取るとともに年賀状書きを辛く感じるようになるのです。
元旦に届けるためには12月〇日まで投函する、とか考えるとプレッシャーではないですか?
私のようにそんなのは全く無視している人間はともかく、まじめな人ほど大変かもしれません。いやそうでもないかな?そういう人はきちんとしているから、焦って書いたりせずに余裕を持って書くかもしれませんね。
まあいずれにしても形だけの挨拶状は、これからも減っていくことでしょう。ただし今のようなネット社会でも、ときどきもらう紙の便りは、私は嬉しいですよ。
年賀状は元旦に届かなくても、良いじゃないですか。一日や二日、二日や三日遅れても、何か問題ありますか?
新年早々に年賀状を手にする、という気分には欠けるとは思いますが。私なんか一週間遅れて出したことも(遅れすぎ!)💦。
新年に入り、小さなはがき一枚でご挨拶~と考えれば気楽になりませんかね?
断捨離やミニマリズムの流行で、今まであった物事が消えていくことが多々あります。年賀状そしてそれが人間関係の整理にもつながり、「すっきり」した暮らしになる、ということかな?
一見無駄に見えても実は大事であったり・・・自分にとって大切なものは何かを考えながら、削ったり残したり~ですかね。