100年の人生完結~父逝く

昨年12月21日、父が他界。100年の人生を完結しました。

7月に骨盤骨折をしてから3か月半の入院生活後、自宅で療養。お正月くらいは一緒に過ごせるだろうと思っていたのですが、年内で自分の人生をキッチリ締めて旅立ったのです。

親が100年も生きると、家にいないというのが不思議な気分です。何しろ父の存在は大きすぎました。100年生きるということは、それだけの歴史があるということですね。

父の最後くらいは

今回は父の葬儀で喪主をやることになりました。もちろん初めてのこと。

実は母が亡くなった時はたまたまニューヨークの友人を訪問中で葬儀には間に合わず。帰ってきたらすべてが終わていたという具合。姉夫婦や近所の方たちに大変お世話になりました。

だから父親とはちゃんと別れをしなければ、と思ってはいたのです。

そういう意味では今回は一応父を見送ることができて良かったと思います。儀式も滞りなく終わりました。

介護初体験と反省

病院から自宅に戻ってちょうど一か月で逝ってしまった父ですが、在宅介護への不安はありました。

リハビリ病院退院後は、自宅か施設かの2択です。姉は「あなたが大変だよ」と心配していたけれど、私は在宅介護を選びました。

というのは父は痴呆がなく、普通に会話できる状態だったからです。痴呆を患っていれば施設にお願いしたはずです。がまだお互い会話を交わすことができるうちは自宅で過ごしてもらいたかったのです。甘いといわれようが、まだ父と会話をかわしたかったから。

親戚のひとたちも「大変だよ」なんて言いました。しかしありがたいことに私の親友や知人(看護師や介護士)がとても前向きな意見を言ってくれ、「何か困ったことがあったら言ってね」というではないですか・・・勇気をもらい介護をスタート。

赤ん坊のおむつも変えたことがない自分に、父のおむつ替えなどできるのだろうかという不安。でもやるしかなかった。

実際のところ、予想外になんとかなってしまいました。私のいい加減な介護に父が我慢していた可能性もありますが、何といってもヘルパーさんの助けが大きかったと思います。

ただ反省はありますね。父が元気な時と同じように檄を飛ばし過ぎたようです。でも実際の父は体力も気力も限界だったのです。

それなのに食べないと体力がつかないよ、とか、ベッドにばかりいてはからだがダメになっちゃうからたまには起きて洗面所まで車いすで行こうよ、とか。今思えばまるで虐待💦?

最後は息するので精一杯だったのです。父には申し訳なかったと深く反省。でも時すでに遅し・・・。

ヘルパーさんは女神!

100才になってからもずっと要支援2できた父ですが、骨折後は要介護4に。

さすがに元のような暮らしは難しく、ベッドでの生活に変わりました。私一人では十分な介護ができませんから、初めてヘルパーさんを利用することに。

ヘルパーさんに来てもらう生活ってどんなものなのか想像もできずにいましたが、スタートしたらすっかり頼り切っている自分がいました。

7人くらいが交代で朝と夕方来てくださいました。

みなさん本当に優しくて感じよく、父はたいそうご機嫌でした。そして彼女たちのプロ意識がみごとで、私はただ感心するばかり。みなさんにはいろいろ教えていただきました。

父も「本当に良くやってくれるな。ああいう人たちにはたくさん給料を上げてほしいもんだ」といっていました。そりゃ怖い娘よりも優しいプロにおむつを変えてもらう方が快適ですからね。

とにかく私たち父娘にとってヘルパーさんたちは女神でした!本当に感謝です。でももうちょっとお世話になりたかった、かな? たった一か月で逝くとは・・・。

何年も在宅介護をしておられる方たちからしたら、私のたった一か月の介護など、体験とも呼べないかも知れませんね。

雪が降ったらヘルパーさんの車を止めるために毎日除雪は辛い~なんて父によく愚痴っていたので、父が気を利かせて12月中に逝ってくれたのかも知れません。ちょっと言い過ぎたかな?

お葬式

家族葬で行ったお葬式ですが、一般弔問では懐かしい方たちがたくさん来てくださいました。ただ父の元職場の年下の方が何人も亡くなったり体調が悪かったりでみえなかったのが残念です。100年生きるとこういうことにもなるんですね。

以前は葬式なんて面倒くさい儀式は嫌だな、なんて思っていたのですが、人間年を取り、少しは謙虚になるもんですかね・・・。何だか人間関係ってその人の歴史でもあるのだと実感しました。

葬儀の形式は様々ですが、いろんな人たちに偲ばれつつ逝くのも悪くはないものです。

さて自分の場合は・・・父とは違って人間関係も狭いので、もっと小さなお葬式になりそうです。でも花だけはケチらずにたくさん飾ってほしいと甥たちには伝えておくつもりです。

今回の父の葬儀ですが、期待に反して?とてもきれいな花がアレンジされ、姉も私もとても満足でした。もちろん父の棺にもたくさんの蘭やユリを入れてあげました、パスポートや帽子と共に。

火葬場

実は昨年2月に父の姉が亡くなり、私が葬儀に参列。火葬場にも行きましたが、その火葬場がかなり年季者。トイレは懐かしい和式もあったり・・・。

しかしふと窓の外を見ると新しい火葬場が建築中でした。

そこで私は父に言いました、もうすぐ新しい火葬場ができるから、逝くならそれができてからにしたら?と(笑)。

本当にそれを実行した父でした💦。新しい火葬場は本当に快適。トイレはもちろんウォッシュレットでホテルのよう。

そして何と新しい火葬場は12月2日にオープンしたばかり。父はそれを知っていたのだろうか? まさか・・。

ひとの一生

人の一生は思い出の塊のようなもの。その人がやって来たことの連続だから。

父の100年を振り返れば、私たちが知るだけでもいろいろあり過ぎます。大正・昭和・平成・令和と生きてきた一人の人間として、いったい何を土産に旅立ったのだろうか。

そんな思いを抱きながら自分の一生を紡いでいる毎日です。
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