お壇参りに思うこと~話すことの必要性

先日近所の奥様がガンで亡くなりました。66才でした。

父が何度かそこのお宅に伺ったことがあるそうで、優しい方だったそうです。残された旦那様も同い年だとか。覚悟はされていたのでしょうが、やはりがっかりなさっていることでしょう。

今日、父がお壇参りに伺いました。

お壇参りとは

お壇参りとは、葬儀に出席できなかった人が亡くなった方の家を訪れ、お参りをすることです。まだお壇があるうちに伺うのが普通。私が住む上越地方ではまだ残っている風習です。

そのお壇ですが、仏壇とは別のものなんです。

座敷などに壇を作り、位牌、お骨、遺影などを飾ります。訪問客はその前でお参りをします。お壇は長い家では一か月くらい置くようです。

壇参り客はお茶をいただきながら、ご家族から故人の話を伺ったりして帰ります。

話すことで気持ちが落ち着く

家族葬が流行の今日この頃ですが、まだ地域の人同士のこうした交流が残っているのです。

この壇参りですが、お客さんの相手をしなければいけないので大変な面もありますが、それなりの意味があるのだと最近分かりました。

うちの母が亡くなったときも、お壇参りの方がみえました。

お客さんが見える度に、父は母が亡くなったいきさつや母の思い出話をしていました。同じことを何度も話すのは面倒ではないかと思ったのですが、そうではなかったようです。

壇参り客と「話しをする」ことによって、残された家族は少しだけ寂しさを紛らわせることができるのだと父は言っていました。

話すことの意味

人は「言葉を吐き出す」ことで、気持ちがすっきりするものですよね。気持ちの整理がつかなかったり悶々としているときには、自分の気持ちを紙に書いてみると良いといわれます。

故人の家族が壇参り客と話をすることは、落ち込んだ気持ちを和らげることに多少なりとも役立っているのではないでしょうか。

葬儀の後で疲れているのに、壇参り客の接待など負担ではないかという意見もあるでしょう。しかし先ほどの近所の方のように、連れ合いが亡くなり、家でひとり悶々としているのも辛いはず。多少は面倒でも、誰かとお茶を飲みながら、話をする時間を持つというのも悪くはないと思いますよ。

人間は誰かと話をするようにできているのでしょう。特に気持ちが落ち込んでいる時などは、その気持ちを吐き出す意味でも、「人と話す」ことは必要かも知れませんね。

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