修行僧になったつもりで落ち葉掃き~からだポカポカ!

毎日ぐずついた空模様の越後ですが、今日は貴重な晴れ間。明日はまた下り坂らしいから、晴れの日を大切に使わなければなりません。

そこで重い腰を上げて、ずっと放っておいた落ち葉を掃くことにしました。修行のごとく落ち葉に集中?お陰でからだがぽっかぽか。思わぬ副産物です。

寒いからとこたつにうずくまっていないで、やはり思い切って動くほうが良いですよね。体の血液循環が良くなりそうです。人間は動くようにできているのでしょうか。

わが家の場合、落ち葉掃きといっても最近はだいぶ楽になりました。家の周りの木が少なくなったからです。

特に隣のお寺の大きなケヤキが何本も伐採されてからは、落ち葉の量が目に見えて減りました。

落ち葉が減ると、その処理が楽になるのは助かります。その一方で初夏の新緑が見られなくなったこと、夏の日差しが強くなったこと、などデメリットもあります。

得るものがあれば捨てるものがあるということですね。

今日の掃き掃除の作業場は藤棚の下。5月には美しい薄紫色の花を咲かし、私たちの目を楽しませてくれた藤の老木。秋にはその葉が黄色くなり、晩秋ともなるとそのまま下に落下。荒れた天気が多い雪国では、落ち葉は「濡れ落ち葉」と化します。

湿った落ち葉を掃くのは少し厄介ですが、腕に力を入れながら竹ぼうきを動かすのはけっこう良い運動です。まるで京都のお寺のお坊さんにでもなったような気分でした(笑)。

とはいっても大雑把な私の仕事ですから、ざっときれいになれば終了。石なんかも置いてある庭なので掃きにくいところがあるんですよ←言い訳。

だってね、いくら掃いてもきりがないんです。龍安寺のお庭じゃあるまいし、完璧に掃き清める?なんて無理。だからだいたい良ければそれで好しということに・・・(いつもこれ)。

ちなみに掃き集めた落ち葉ですが、大部分は庭の隅の堆肥場に積んでおきます。残りはビニール袋に入れて燃えるゴミに出します。

わが家の庭では草も落ち葉も大量に出ますから、そのすべてをゴミ収集所に出していたら大変です。でも堆肥になってくれるのであれば大歓迎。ただし草も落ち葉もすぐには発酵しないので、石灰を撒いてじっくり待ちます。

それにしても「きれい~!」の後には、その後始末というものが必ず待っています。

藤の花の香りに包まれて~百年越えの藤の老木と暮らす

また来年もきれいな花を咲かせてくれるようにと願いつつ、修行僧のつもりで箒で無心に落ち葉を掃き集めた午後でした。動いた後はからだはポカポカ、気分もスッキリ!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です