生トークが一番~直接話せるありがたさ

骨折で入院した100歳の父。病院はコロナ以来厳しめの面会規制。それでも初めの一週間は15分の面会が許されていました。しかし一週間後には全面禁止となりました。

その約一か月後、父はリハビリ病院へ転院。その時だけは姉と私は付き添いということで父に会って話をすることができました。直接話ができることがこんなにありがたいものだとは・・・。
コロナが5類に引き下げられた今も、上越市内の病院や施設などでは面会制限が厳しいままです。

総合病院に父が入院した7月下旬では、登録者のみ一日15分の面会ができました。そこで姉も私もできる限り父の顔を見に病院へ通いました。

ところが一週間後にはそれもできなくなりました。コロナ感染が増えたという理由からです。ただし車椅子に乗れる患者さんはパブリックペースで5分間だけ面会が許されていました。うちの父は起き上がれないためそれも無理でしたが。

ばらくすると5分間面会できた方たちもすべて面会禁止となりました。院内感染が出たのです。

厳しいけれどしょうがないと諦め、姉と交代で父にメッセージを届けることになりました。

私はバインダーを用意し、中にメッセージと新聞のスポーツ蘭(ジャイアンツが勝った時だけ)などを入れて看護師を通して父に配達。

二冊用意して一冊ずつ渡します。前回に渡したものは返してもらい、また手紙などを入れて新たに渡します。

たま~に返事が返ってきますが、めったにありません。書くエネルギーがないのでしょう。

でもこのバインダー配達はわれながら名案だと思うんですよね、へへ(自画自賛)。日常のたわいのない話題を書いて入れておきます。

ナースステーションでバインダーを渡すときには、必ず父の様子を聞きます。ただ実際に顔が見られないので不安は残りますけどね。

そんな状態で約一か月。父は総合病院から他の病院へリハビリ転院をすることになりました。そしてその転院の朝、久しぶりに父に会い言葉を交わすことができました。

転院なんて面倒だと思っていたのですが、こんな機会でもなければずっと会えないままだったので良かったと思います。

次の病院までの介護タクシーの中、そして病院に着いてからは姉も加わり、40分以上は一緒にいることができました。

姉も私も久々に父の姿を確認でき、父も娘たちの顔を見て、お互いの生存確認ができたというわけです。

それと同時に、直接会話ができるということのありがたみを身に染みて感じたひと時でもありました。

特別話好きな人ではなくても、誰かと生で話す機会があるというのは大切なことなのですね。つくづくそう思います。

もちろん誰とも話はしたくない人もいますし、人はいろいろです。

ただ人間はもともと人と話をするようにできている生き物ではないかと思います。もちろん状況によっては手話や点字での会話も含まれます。

父の入院を通して、誰かと会話、特に直接会話をするということの大切さを改めて感じる今日この頃です。

早くコロナ感染が減ると良いな~。

明るい声に助けられて

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